先日発売いたしました、新商品「サクラ咲く合格にぎり飯の素」。
たくさんのメディア関係者様から取材、お問い合わせをいただき
ありがとうございます。
改めて、桜飯の由来と、地元柏崎の繋がりについてご紹介したいと思います。
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幕末の越後長岡藩で、抜群の行動力と先見性で
郡奉行、町奉行、家老上席など藩政を任された河井継之助。
慶応元(1865)年39歳の時、郡奉行として刈羽郡山中村(現在の新潟県柏崎市)の
庄屋と農民の紛争を解決した際に、
庄屋から「お礼になにかご馳走したいが何がよいでしょうか?」と聞かれた河井は、
「桜飯ほどうまいものはない」と言ったといいます。
みそ漬けを桜の花に例えてか、長岡藩の家中では桜飯と呼んでいたそうです。
(ふるさとの味覚/ほっとほくりくNO.76より)
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この時の庄屋と農民の紛争は「山中騒動」と呼ばれています。
https://soryu.yukimizake.net/haru/haru11.html
山中騒動は3年以上にも渡って続いたと言われており、
無事に解決した後、庄屋の今井徳兵衛は継之助に感謝し、
この日を記念日として毎年継之助の肖像と 好物の桜飯を供えました。
今井徳兵衛の曾孫の語った話では、「戦前は11月15日に、書院 の床の間に、
河井さんの肖像を掲げ、好物だった味噌漬飯を供え、
父常栄が子供たちに、 騒動の経過、その処理について、
落涙絶句しながら話してくれたのが印象に残っています。」として
代々子供たちに伝えていったことが分かります。
尚、刈羽郡山中村は、高柳町のあたりで現在は柏崎市に合併されています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E6%9D%91_(%E6%96%B0%E6%BD%9F%E7%9C%8C)
河合継之助は長岡藩の藩士であるため、長岡がクローズアップされがちですが、
「桜飯」が広く伝わった背景には地元柏崎での継之助の功績があったとされています。
歴史に想いを馳せながら、ぜひ「越後みそ西の桜飯」を味わってみて
いただけたらと思います。
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合格にぎり飯の素 通販|みそ漬だいこんの桜めしを合格祈願のチカラめしに! 越後みそ西・西本町店 (echigomiso.net)